今年の夏メリーランドからテキサスまでシングルハンド航海した [レン] の写真がもっと出て来た。
ブルース・ビンガム設計のままのキャビントップのキャンバー(円弧)。後のPSC製よりも丸いのでキャビン内に立った時の頭の上のスペース(ヘッドルーム)がPSC製に比べ2~3インチは高い。
ブリッジ・デッキは無く、コンパニオンウェイの切り込みが深い。また個室ヘッドのないオープン・レイアウト型である。この2点は初期PSC製に踏襲された。
しかし、これらの写真を観ているとPSCがPSC25とマリア(31フィート)で培って来た生産技術をもって、そもそもバックヤード・ビルダーを念頭に設計されたフリッカを、完全に次元の異なるファイバーグラス製プロダクション艇としてアップデートし、言わば見事に再誕生させたことに思いが馳せる。
人間の結婚と同じで、PSCとフリッカは出逢うべくして出逢ったのかも知れない。その仲を取り持ったのはビンガムの製図マンとして、またノー’スターでもフリッカ建造のエンジニアとして働いていたビル・ルーサーである。PSCが独自モールドによるフリッカ生産をするにあたりデッキ、コックピット、キャビン・インテリア等、ハルのラインズ(基本設計)以外の全てを設計したのは他ならぬ [この男] (リンク先写真2枚目)だ。ハルにしても、ステム上端両隣にある航海灯のデザイン、スターン両舷の小型スクロールワーク、デッキとの接合用のヒレなど、細かいデザインも全てビルの仕事。まさにフリッカをPSC造船ラインに乗せた立役者だ。
その後主にマーケティング上の理由からブリッジ・デッキ、個室ヘッド、手摺り型コンプレッション・ポストの導入や、ステム上部、コックピット・ソール、コンパニオンウェイ下周り等のデザイン・アップデートが行われた。個室ヘッドはPSCの創始者・オーナー・デザイナーであるヘンリー・モーシラットの設計であることは判っているが、その他はヘンリー、ビルどちらによるものか分からない。
いずれにしろフリッカの大成功はこのようなPSCのコミットメント無しでは在り得なかった。一方、PSCは数年に渡りフリッカ1艇から次の1艇へとフリッカだけで食い繋いでいたというファクトリー関係者の証言があり* 、PSCの存続はフリッカ無しではあり得なかった。
尚、バックヤード・ビルド(自作艇)からPSC製プロダクション艇への過渡期にノー’スター製フリッカ20艇が存在するが、ハルがファイバーグラスになったものの艇のデザインは全て今日の写真のフリッカと同じだ。またノー’スター製の殆どはハルだけのキット・ボートとしてオーナーに渡され、オーナーが仕上げている。協力会社のウエスタリーが完成させたファクトリー艇でもデッキやキャビンは木製が殆どで、正に過渡期のフリッカの呼び名にふさわしい。
* 1978年~1983年頃と思われる。
(写真はいずれも Ryan Marine の1974年製フリッカ、Wren です。)
⇒ フリッカの歴史 (History of the Flicka)